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東京高等裁判所 昭和39年(ネ)443号 判決 1968年6月18日

第四四三号控訴人(第二九二号被控訴人) 大八木初男 外一九名

第二九二号控訴人(第四四三号被控訴人) 国

訴訟代理人 板井俊雄 外五名

第四四三号被控訴人 大八木富五郎 外一名

主文

一、原判決中、第一審被告国が第一審原告田中ハナ、同中丸正太郎に対し、金員の支払を命せられた部分を左のとおり変更する。

第一審被告国は、第一審原告田中ハナの承継人田中馨、同田中勝江に対し各金三五、〇七二円、第一審原告中丸正太郎の承継人中丸登志に対し金一四〇、二八八円、同中丸功治、同中丸正子、同中丸正美に対し各金九三、五二五円及び右各金員に対し昭和三九年六月二四日以降支払済にいたるまで年五分の割合による金員を付加して支払え。

二、原判決中、前項以外の第一審原告らに対し遅延損害金の支払を命じた部分は、請求の減縮により、「昭和三九年六月二四日以降支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。」と変更された。

三、第一審原告らのその余の控訴及び中丸正太郎の承継人が二審において拡張した請求中その余の部分ならびに第一審被告国の控訴は、いずれもこれを棄却する。

四、第二九二号事件の控訴費用は、第一審被告国の負担とし、第四四三号事件の控訴費用は、第一審原告ら(中丸正太郎とその承継人を除く)の負担とする。

第一審原告中丸正太郎及びその承継人らに関する訴訟費用は、第一、二審を通してこれを三分し、その一を承継人中丸登志、同功治、同正子、同正美の負担としその余を第一審被告国の負担とする。

事実

昭和三九年(ネ)第二九二号事件につて。控訴人国(第一審被告)指定代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人(第一審原告)らの請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

同年(ネ)第四四三号事件について。控訴人(第一審原告)ら代理人は、

主位的請求の趣旨として、「原判決を取り消す。控訴人らに対し、一、被控訴人国は、原判決添付目録第一(2) ・(4) ・(6) ・(9) 及び同目録第二(10)・(12)・(14)記載の各土地につき、横浜地方法務局藤沢出張所昭和二五年三月一五日受付第一〇一、五九五号を以てなされた所有権取得登記並びに同目録第二(11)・(13)記載の各土地につき同法務局同出張所昭和二七年七月一九日受付第三、七一二号を以てなされた所有権取得登記の各抹消登記手続をせよ。二、被控訴人大八木富五郎は、同目録第一(4) ・(5) ・(9) 及び同目録第二(12)・(14)・(15)・(17)・(18)記載の各土地につき同法務局同出張所昭和二五年三月三一日受付第二、一八四号を以てなされた所有権取得登記並びに同目録第二(13)記載の土地につき同法務局同出張所昭和二七年八月二八日受付第四、三一八号を以てなされた所有権取得登記の各抹消登記手続をせよ。三、被控訴人大八木イネは、同目録第一(2) 及び同目録第二(10)記載の各土地につき同法務局同出張所昭和二五年三月三一日受付第二、一八四号を以てなされた所有権取得登記並びに同目録第二(11)記載の土地につき同法務局同出張所昭和二七年八月二八日受付第四、三一八号を以てなされた所有権取得登記の各抹消登記手続をせよ。四、被控訴人大八木庄太郎は、同目録第二(10)記載の土地につき同法務局同出張所昭和三四年三月九日受付第三、五六四号を以てなされた所有権取得登記の抹消登記手続をせよ。五、被控訴人小沢富雄は同目録第一(2) 及び同目録第二(11)記載の各土地につき同法務局同出張所昭和三四年三月九日受付第三、五六五号を以てなされた所有権取得登記の各抹消登記手続をせよ。六、控訴人森唯七は、同目録第一(4) ・(6) 及び同目録第二(12)記載の各土地につき同法務局同出張所昭和三二年五月二三日受付第六、二七九号を以てなされた所有権取得登記の各抹消登記手続をせよ。七、被控訴人安斉六郎は、同目録第二(13)記載の土地につき同法務局同出張所昭和三三年三月二五日受付第三、五四三号を以てなされた所有権取得登記の抹消登記手続をせよ。八、被控訴人松本重雄は、同目録第二(15)・(16)記載の各土地につき同法務局同出張所昭和三三年一〇月三一日受付第一四、三四七号を以てなされた所有権取得登記並びに右二筆の土地につき同出張所昭和三四年六月五日受付を以てなされた表題部三番の合併登記の各抹消登記手続をせよ。九、被控訴人市川昇は、同目録第二(17)記載の土地につき同法務局同出張所昭和三三年一二月二六日受付第一七、七六五号を以てなされた所有権取得登記の抹消登記手続をせよ。一〇、被控訴人安斉昭一は、同目録第二(13)記載の土地に存在する家屋番号二七七番の二六、木造スレート葺二階建店舗兼居宅建坪一三坪七合五勺、二階九坪の建物を収去し、右土地を明け渡せ。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。との判決及び一〇につき仮執行の宜言を求め、

予備的請求として、「原判決中控訴人(第一審原告)ら敗訴の部分を取り消す。被控訴人国は、控訴人大八木初男、同大八木金春、同小池イチ、同土屋マツ、同永井タケに対し各金四八〇、六九四円宛、控訴人大野亀雄、同大野アサ、同大野義雄、同大野甲子三、同小栗アキに対し各金五七六、八三三円宛、控訴人三獄勇、同小沢君子、同三獄清松、三獄繁蔵に対し各金七二一、〇四一円宛、控訴人田中春、同田中勝江に対し各金二四〇、三四七円宛、控訴人中丸功治、同中丸正子、同中丸正美に対し各金六四〇、九二五円宛、控訴人中丸登志に対し金九六一、三八八円並に右各金員に対する昭和三九年六月二四日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決ならびに金員の支払を命ずる部分につき仮執行の宣言を求める。と述べ、被控訴人ら代理人及び被控訴人松本重雄は控訴棄却の判決を、なお、被控訴人国代理人は、控訴人田中春、同田中勝江、同中丸登志、同中丸功治、同中丸正子、同中丸正美の請求に対し、請求棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、次のとおり訂正又は付加するほか、原判決摘示の事実と同一であるから、これを引用する。

一、第四四三号事件控訴人、第二九二号被控訴人(以下第一審原告という)ら代理人は、左のとおり述べた。

(一)  吉村トリの相続人は、原判決添付目録記載の親族表のとおりで、第一審原告らの相統分は、田中ハナ、大八木初男、小池イチ、大八木金春、土屋マツ、永井タケが各三六分の一、大野アサ、小栗アキ、大野亀男、大野義雄、大野甲子三が各三〇分の一、中丸正太郎が六分の一、三獄清松、三獄繁蔵、小沢君子、三獄勇が各二四分の一であつたところ、田中ハナは昭和三八年一〇月二七日死亡し、その子田中馨、同勝江がこれを相続し、中丸正太郎は昭和三九年五月五日死亡し、妻中丸登志、子同功治、同正子、同正美がこれを相続したので、ハナの承継人田中馨、同勝江の相続分は各七二分の一、正太郎の承継人中丸登志の相続分は一八分の一、同中丸功治、同正子、同正美の相続分は各二七分の一となつた。

(二)  第一審原告中丸正太郎の相続分は前記の如く六分の一であり、被買収土地の時価は、一七、三〇五、〇〇〇円であるから、同人の承継人の請求を拡張し、第一審被告国は、中丸功治、同正子、同正美に対し各金六四〇、九二五円宛、中丸登忘に対し金九六一、三八八円の支払をなすべきことを求める。

(三)  損害金の起算目を昭和三九年六月二四日と改め、損害金の請求を減縮して、第一審被告国に対し、第一審原告ら及びその承継人らが請求する金員に対しては、同日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員を付加して支払うべきことを求める。

(四)  原判決摘示請求原因四、(一)中、目録第二「(11)・(18)」とあるのは(原判決一二枚目-記録七〇丁-表二行目)、「(11)(13)」の誤記であるから、そのように訂正する。

(五)  本件買収当時、茅ケ崎市内に居住していた者は、第一審原告らのうち、田中ハナ、大八木初男、小池イチ、大八木金春(但し同人の復員時期は不明)、土屋マツ、永井タケ、小沢君子の七名である。

(六)  吉村トリは、昭和二〇年五月一五日死亡したが、同人は藤沢市辻堂字熊ノ森一、四六三番畑八畝一五歩を自作し、原判決添付冒録第一の土地については、(1) ないし(3) を兄大八木仙太郎に、(4) ないし(9) を弟大八木喜三郎に本件買収当時まで引き続きそれぞれ小作させていた。ところで、右仙太郎、喜三郎は、新民法の施行に伴い、トリの相続人となつたから、本件買収当時本件農地が自作農創設特別措置法三条一項一号の小作地に該当しなかつたことは勿論である(仙太郎、喜三郎は共に耕作の業務を営んでいたのであるから、両名がトリの相続人となつたことを自覚していなかつたとしても、本件農地は同法二条の自作地である。)。したがつて、本件農地を同法三条一項一号に該当する小作地として国がなした買収処分は、買収令書の交付がなかつたということのほかにも、右のような重大かつ明白な瑕疵があり、その無効であることは明らかである。

(七)  第一審原告らは、昭和三四年一〇月一八日提起された横浜地方裁判所同年(ワ)第九〇七号事件の原告代理人坂上弁護士からの書簡(甲第四号証)により、はじめてトリの相続人であることを知り、右事件の過程において、トリの財産を調査した結果、本件買収が判明したのである。

(八)  第一審原告ら(その承継人を含む)が、本件土地の所有権を喪失したのは、時効時間が満了し且つこれを適法に援用されたためにほかならない。これは第一審被告国が違法な買収処分をした上で他にこれを売り渡し、さらに違法処分を是正することなく長期間放置していたことに基因する。国が時効期間満了時点の前後を問わず、違法処分を是正する有効適切な措置を講じたならば、第一審原告らが今日なお本件土地を保有しえたことはいうまでもない。したがつて第一審被告国は、第一審原告らに対し、本件土地の現在の価額を損害として賠償すべきであり、時効期間満了の時点における本件土地の価額は第一審原告らが現実に蒙つた損害額とは何の関連性もない。

(九)  仮りに、第一審原告らが不法行為者たる第一審被告国に対し請求しうる通常の損害は、時効期間満了の時点における目的土地の価額であるとしても、本件土地は、右時点直前頃から価額が騰貴しつつあつたという特別の事情があり(艦定人駒井一夫の鑑定書参照)、且つ当時国がこれを知りえたことは明らかであるから、第一審被告国は、第一審原告らに対し騰貴した時価による価額を賠償すべきである。

二、第二九二号事件控訴人、第四四三号被控訴人(以下第一審被告という)国代理人は、左のとおり述べた。

(一)  第一審原告らの予備的請求の減縮に同意する。

(二)  第一審原告田中ハナ及び中丸正太郎の死亡及びその相続関係を認める。当審における(六)の主張事実を否認し、(七)の事実は知らない。

(三)  本件各土地の売渡の時期は、目録(1) ないし(6) 及び(9) が昭和二三年二月二日、同(7) (8) が同二四年三月三一日である。

(四)  本件買収について、公権力の行使に当つた公務員には過失がない。

(1)  農地改革は、自創法一条において、急速かつ広汎に行なわれるべき旨が明示されており、これに基づき同法施行令二一条は、法三条による買収および一六条による売渡は昭和二三年一二月三一日までに完了しなければならない旨規定し(但し、同条は昭和二三年政令三八三号で削除)、他方、農地改革を通じ日本の民主化を実現しようとした連合軍最高司令部は、日本政府に対し農地改革完遂の指令を出し、農地改革の早期達成を求めてきた。農地改革事業の運営についてのこのような特殊事情は、土地収用その他の行政処分の場合には、全くその例を見ないものである。ところで、当時の農地改革は、二年間に在村、不在村地主約七七万戸の所有する小作地約一五〇万町歩を解放しようとする大事業であつたから、買収すべき農地所有者の一人一人について、その本籍地または寄留地市町村役場から戸籍謄本を取り寄せ、生死を確認した上で買収事務を執行することは全く不可能であつたといわざるをえない。しがつて、自創法が戸籍謄本による所有者の確認調査を、農地買収事務担当公務員に義務づけているものとは到底認められないのである。ちなみに、茅ケ崎市における農地買収面積は三二〇町歩約一〇、〇〇〇筆、所有者数延約二、〇〇〇人に達していたのであるから、これら多数の所有者が生存しているかどうかを一々確認していたのでは、とうてい前記法令の要請する農地改革事業の円滑な推進をみることができなかつたことは明らかである。

(2)  農林省は、農地の買収、売渡についての事務処理が適正、円滑に運営されることを期し、昭和二二年同省令二号農地調査規則を定め、さらに、各都道府県知事に対し種々行政指導を行なつたが、これによると、買収土地の調査は、各農地委員会に対し、農地各筆毎に土地台帳から地番、地目、地積、所有者氏名等を転記した農地台帳を作成せしめ、更に実地調査に基づき、権利者等を確認して、右台帳と照合する方法をとらしめた。茅ケ崎市農地委員会も、右指導に基づき、買収土地の調査については、農地台帳の作成を行なうとともに、管下の小作地全部について、各耕作者をして当該小作地の所有者を明示した立札を圃場に立てさせ、市の農地委員、補助員、小委員が担当部落を現地調査して、調査個票に転記する方法を採用し、右個票と農地台帳を突き合わせ、さらに土地登記簿と照合して土地所有者の確認を行なつた。本件土地についても、右の方法による調査か行なわれ、土地台帳、登記簿、現地調査個票の三者が一致して、所有者は藤沢市辻堂五、八九六番地吉村トリであることを確認し、不在地主の所有する小作地として買収計画を樹立したのである。

(3)  本件買収計画は、昭和二二年一二月三日樹立され、同月一一日から二〇日まで公告縦覧に供された。茅ケ崎市農地委員会は、藤沢市農地委員会に対し、吉村トリあての連絡文書の交付を依頼し、同委員会は右文書をトリにあてて送付したが、それが返送されて来た事実はなかつたのであり、かつ、買収計画に対し、トリの相続人からの異議申立もなかつた。買収令書は、神奈川県知事から藤沢市農地委員会に送付された。同委員会の当時の取扱いとしては、所有者に印鑑持参のうえ、委員会事務局に出頭を求め、買収令書と引換えに令書受領書及び買収対価受領の委任状を提出させていたが、本件の場合、吉村トリ名義の記名押印のある受領書が提出されていることは原審認定のとおりである。そして、右受領書に用いられた印鑑は、吉村トリの単なる三文判ではなく、同人の実印とみられるものであつたし、右印を保管していたのはトリの相続人の代表者格の大八木喜三郎で、同人は、右受領書及び買収対価の受領書ならびに買収対価受領のため必要とされた対価受取人たる証明書中の証明申請者の氏名、押印欄に、いずれも吉村トリと記した上、同一の印を押したものとみとめられる。なお、トリ死亡後本件買収かなされた頃までの地租および家屋税は、依然トリの名で納入告知書が送付され、これらの税金は、右喜三郎が各年度とも滞納することなく納入していたのであるから、買収に関する令書および対価の受領書については、同人を通じて、トリの法事その他の機会に、他の相続人らに伝えられていたものと推察することができる。

(4)  以上のような諸条件が重なつた場合、買収事務を取り扱つた公務員が何人であつたとしても、トリの生死に疑いを抱いて調査するという気運が生ずる余地は全くなかつたであろうと思われる。要するに、トリの相続人から、一言、藤沢または茅ケ崎市農地委員会あるいは神奈川県当局にトリが死亡したという事実の申立がなされていたならば、当時直ちに是正の措置かとられていた筈であつたが、このような申立がなかつたため、そのままとなつたのは当時の特殊事情の下にあつては、全くやむをえなかつためであり、担当公務員として、本件買収処分が適法かつ有効に行なわれたものと信ずるには相当の理由があつたのでる。したがつて、関係公務員が本件土地の所有者を吉村トリとして、本件買収関係の事務を執行したことについては、相当の注意義務を尽したものというべく、それにもかかわらず、瑕疵のある処分という予期しない結果を招いたのは、全く注意義務の限界を超え、責に帰することのできない事由によつたものとみるべきであるから、右関係公務員には、なんら過失はなかつたものといわなければならない。

(五)  本件買収が重大かつ明白な瑕疵のために無効であるとすれば、売渡処分もまた無効である。国は、本件土地を第一審被告大八木富五郎外一名に売り渡し、同人らのために所有権移転登記をなし、同人らは正当に所有権を取得したものと信じて自主占有を始めたけれども、それだからといつて第一審原告らの所有権には何らの影響を与える筋合もなかつたのである。それにもかかわらず第一審原告らが土地所有権を喪失するにいたつたのは、同人らが一〇年もの長い期間にわたり、訴の提起、差押、仮処分等所有権保全のための時効中断の措置を講せず、富五郎らが自主占有している状態を放置して取得時効を完成させ、さらには、同人らが右時効を援用したことに基因するのである。かような事情は、国が違法行為をした当時、通常予見しえたところとはとうてい云えないから、因果関係に関するいわゆる条件説によるならばともかく、相当因果関係説によるかぎり、第一審判決の判示する損害は、通常生ずべき損害ということはできない。

(六)  かりに本件買収処分当時において、本件各土地の時効取得により、第一審原告らが所有権を喪失するであろうことが通常予測しうるところであり、従つて、本件買収処分と取得時効の援用による第一審原告らの本件各土地の所有権喪失の損害との間に相当因果関係が認められるとしても、昭和二四年当時にあつては、原則として農地の価格の最高限は自創法による農地の買収対価と同額に法定され、その額を超えて、契約し、支払い又は受領することができないこととされていたのであつて、(農地調整法六条の二、昭和二一年農林省告示一四号、自創法六条三項参照)、この制限が解かれたのは、昭和二七年一〇月になつてからである(農地法施行法、昭和二七年政令四四四号参照)。また、農地の転用、転売も制限をうけていたのであるから、買収当時としては、本件各土地の価額が将来騰貴して原判決の指摘するような価額になることは、何人もこれを予想しえなかつたものといわなければならない。そうだとすれば、第一審原告らが蒙つたと主張する所有権喪失による損害について、国がこれを賠償すべきであるとしても、その賠償すべき額は、本件売渡処分の行なつた昭和二四年当時の本件各土地の農調法六条の二による農地としての価格、すなわち自創法による買収対価に相当する価額であるというべきである。

この点に関し、第一審原告の当審における(九)の主張について一言するに、いわゆる特別事情による損害の賠償を請求しうるのは、不法行為当時不法行為者が知り又は知りえた事情の存した場合に限られるのであつて、損害発生時に知りえた事情、すなわち本件にあつては、時効期間満了時点の直前に、国が知りえた事情は、いわゆる特別の事情に該当しないから、第一審原告の主張は明らかに失当である。

(七)  仮りに、国に損害賠償義務があるとした場合、第一審被告国は過失相殺を主張する。すなわち、第一審原告らは、吉村トリの相続人として本件土地を共有することを知り又は知りうべき状態にあつた。したがつて、本件土地が買収、売渡された後においても、買収処分の無効を主張して所有権の確認なり、登記の抹消なりを訴求することに法律上の障害はなかつた筈であり、またかくして所有権の保全を図ることこそ、社会通念上当然期待されるところである。しかるに第一審原告らは、売渡後一〇年以上を経過し、買受人らに時効取得されるにいたるまで、漫然手を拱いて、なんら所有権の保全策を講じなかつたのは、明かに同人らの過失というべきであるから、損害賠償の額の算定にあたつては、当然これを斟酌されるべきである。

三、証拠として、第一審原告らは、甲第四ないし第八号証を提出し、当審証人大八木イネの証書を援用し、乙第九号証の成立を否認する、その余の乙号証はいずれも成立を認める、と述べ、第一審被告国は、乙第五号証の一ないし四、第六ないし第九号証を提出し、甲号証はいずれも成立を認める、と述べた。

理由

一、第一審原告らの主位的請求についての事実認定及びこれに対する法律上の判断は、次のとおり訂正又は補足するほか、原判決がその理由において判示するところと同一であるから、これを引用する。

(一)  第一審原告田中ハナが昭和三八年一〇月二七日死亡し、その子田中馨、同勝江がこれを相続し、第一審原告中丸正太郎が昭和三九年五月五日死亡し、妻中丸登志、子同功治、同正子、同正美がこれを相続し、それぞれ訴訟を承継したことは、第一審被告国の認めるところであり、その余の第一審被告らは、明らかにこれを争わないから自白したものとみなす。そうすると、田中馨、同勝江の相続が各七二分の一、中丸登志の相続分が一八分の一、同功治、同正子、同正実の相続分が各二七分の一とたることは、前記親族表に照らして明らかである。

(二)  原判決三一枚目-記録八九丁-裏二行目の末尾に、「以上のうち(1) (3) (5) (7) の土地は、登記簿上の地目は山林となつているが、買収及び売渡の当時の現況が畑(農地)であつたことは、前示乙第四号証の二ないし四及び弁論の全趣旨によつてこれを推知することができる。」と加える。

(三)  原判決三二枚目-記録九〇丁-表三行目「目録第二Dの土地」とあるのを、「目録第二(D)前段の土地」と改める。

(四)  原判決三六枚目-記録九四丁-表四行目「明らかであり」から、同三七枚目裏八行目「妥当ではない。」までを次のように、改める。「明らかである。右事実によれば、吉村トリは、死亡当時戸主であつたが、旧民法による法定又は指定の家督相続人がなかつたので、家督相続人が選定されなければならない場合であつた。しかしその選定手続がなされないでいるうちに、昭和二二年五月三日日本国憲法が施行され、これに即応して、民法の応急的措置に関する法律(昭和二二年法律七四号)が同時に施行され、さらに昭和二三年一月一日から右応急措置法に代つて新民法(昭和二二年法律二二二号)が施行されたため、吉村トリの相続については、同法附則二五条二項により新法が適用されることになつたわけである。そこで前認定の事実によれば、トリの死亡により、(イ)姉三獄ソデ、(ロ)弟亡喜之助の代襲相続人第一審原告田中ハナ、同大八木初男、同小池イチ、同大八木金春、同土屋マツ、同永井タケ、(ハ)妹大野チヨ、弟中丸豊吉、兄大八木仙太郎、弟大八木喜三郎が相続したことになるが、本件買収処分当時においては、(イ)ソデは昭和二一年一一月二七日死亡したので、代襲相続人第一審原告三獄清松、同三獄繁蔵、同小沢君子、同三獄勇が遺産相続を、(ハ)のうち中丸豊吉は昭和二〇年一二月一〇日死亡したため、長男中丸正太郎が家督相続を、いずれも旧民法によりしていたことが認められる(最高裁昭和三八年四月一九日判決、民集一七巻五一八頁参照)。なお、その後(ハ)のうち大野チヨが昭和二六年一〇月七日死亡し、その子第一審原告大野アサ、同小栗アキ、同大野亀男、同大野義雄、同大野甲子三がこれを相続したことは、前記親族表記載のとおりである。ところで、応急措置及び新民法は、それまでの戸主、家族その他家に関する制度及び家督相続に関する制度を廃止し、配偶者及び子らの共同相続を認めたのであるから、当時における一般国民特に農業に従事する者の生活感情ないし法常識とは相当かけはなれた法律を実施したことになる(このことは、原審及び当審証人大八木イネが、その長男を「いせき」-遣跡-と呼んでいることからも窺うことができる。)。しかも、富五郎及びイネが前記のごとく自主占有を開始した昭和二四年四月ないし八月当時においては、まだ新民法殊に附則二五条の如き経過規定についての知識は、一般国民の間に普及されていたとはとうてい云えず、かつ新民法に対する国民の理解の程度も低かつたことは容易に首肯しうるところである。したがつて、後に認定する如く、吉村トリに対する買収処分に存する瑕疵は、重大かつ明白なものであるけれども、このことは、自則法及び新民法特に附則二五条二項について相当な知識と理解がなければ容易に気付かないような性質のものであるから、自己の耕作地を自創法に基づき政府から農地として売渡を受けた者は、特別の事情のないかぎり、その売渡処分に瑕疵のないことまで確かめなくとも、所有者と信ずるにつき過失はなかつたと認めるのが相当である(最高裁昭和四一年九月三〇日判決、民集二〇巻一、五三二頁参照)。富五郎及びイネが吉村トリの死亡したことをすでに知つていた等前認定の事実か、右にいう特別の事情とするに足らないことはいうまでもない。

二、第一審原告らの第一審被告国に対する予備的請求について、原判決がその理由一ないし四において判示するところは(原判決三九枚目-記録九七丁-表五行目から、同四五枚目-記録一〇三丁-表二行目まで、但し、二の一部を後記のとおり訂正する。)、当裁判所もまたこれを正当とするものであつて、ここに右記載を引用する。そうとすれば、第一審原告らの当審における(六)の主張について判断するまでもなく、本件買収処分が無効であることは明らかであるといわなければならない。

(一)  原判決二、のうち三九枚目-記録九七丁-裏八行目「前に判示したように」から同四〇枚目-記録九八丁-表四行目「相続したことのほか、」までを、「吉村トリが昭和二〇年五月一五日死亡し、右買収処分当時においては、第一審原告大八木初男、同大八木金春、同小池イチ、同土屋マツ、同永井タケ、同田中ハナ、同三獄勇、同小沢君子、同三獄清松、同三獄繁蔵、同中丸正太郎および大野チヨ、大八木仙太郎、大八木喜三郎が、吉村トリの相続人又は更にその相続人として同目録第一(1) ないし(9) の土地の所有権を相続していたことは前に判示したとおりである。」と改め、以下原判決四一枚目-記録九九丁-裏一行目までを削る。

(二)  [同表二行目「次に」を「ところで、」と改める。

(三)  第一審被告国は、当審において一、四のとおり、本件買収について公権力の行使に当つた公務員には過失がなかつたと主張するのて、この点について判断する。

(1)  第一審被告国が、農地改革事業について特殊事情があつたと主張するところは、当裁判所もこれを容認するに吝かでない。したがつて、農地所有者の一人一人について、その本籍地役場等から戸籍謄本を取り寄せ、生死を確認した上で買収事務を執行することが当時の事情として甚だ困難であつたであろうことも肯かれるところである。しかしながら、農地買収は、農地所有者の権利の剥奪という重大な結果を齎すものなのであるから、それが慎重になされなけれはならないことは当然である。農林省が農地調査規則を定め、買収土地の調査は、農地各事毎に、土地台帳から地番、地目、地積、所有者氏名等を転記した農地台帳を作成し、さらに実地調査に基づき、権利者等を確認して、右台帳と照合する方法を農地委員会にとらしめたのも、買収の重大性を考慮し、慎重を期したものにほかならない。茅ケ崎市農地委員会か、農林省の行政指導に基づき、買収土地の調査については、管下の小作地全部について各耕作者をして、当該小作地の所有者を明示した立札を圃場に立てさせ、農地委員らが担当部落を現地調査して、農地台帳を作成するとともに、調査の結果を調査個票に転記する方法を採用し、土地所有者の確認を行なつたことも、正当な措置である。ただこの場合、大八木富五郎又は喜三郎及び大八木イネによつて、本件土地の立札に、所有者を吉村トリとして表示されたことは、富五郎らがトリの死亡を知つていたことに鑑み、行政指導に欠けるところがあつたものと云わざるをえない。けだし、前記規則において、所有者民名、権利者等を確認するよう指示しているところから見て、土地台帳、登記簿、現地調査個票の三者が一致したからといつて、それをもつて足るという趣旨でないことは明らかだからである。

(2)  連合軍最高司令部により農地改革の早期達成を命ぜられ、その事務を担当した公務員が、寝食を忘れて、大事業を完遂したことは、これを多とするに余りあるところであるが、そのために違法の処分が間々生ずるにいたつたことも、顕著の事実である。この場合、国としては、やむをえないところとして、目を蔽うべきではなく、謙虚な態度をもつて、違法は違法として受け入れてこそ、民主国家としてふさわしいものというべきである。

(3)  第一審被告国は、その主張の(四)、(3) において、<証拠省略>に押された吉村トリの印鑑について、はたまた大八木喜三郎の措置について、縷々陳述するけれども、いずれも推測の域を出でず、本件にあらわれた全証拠によつても、その主張事実を認めることはできない。なお、同被告が(4) において主張するところは、自己の非を他に転嫁しようとするものであつて、とうてい採るに足らない。

(4)  要するに、本件買収処分を担当した公務員に過失がなかつたとする主張は、当裁判所の採用しないところである。

(四)  原判決理由五において、原審が判示するところもまた正当であつて、当裁判所は、同判決四六枚目-記録一〇四丁-表七行目の冒頭に、「成立の争いのない甲第四、第五号証」を加えるほか、その記載を引用する。この点について、第一審被告国が当審において(五)で主張するところは、右認定と異なる事実を前提とするか、または独自の見解であつて、採るをえない。

(五)  当裁判所は、原判決か理由六において判示するところも(但し、原判決五〇枚目-記録一〇八丁-表二行目まで)、また正当としてこれを引用する。

(1)  第一審原告は、当審における(八)の主張において、第一審被告国は、本件土地の現在の価額を損害として賠償すべきであるというが、その採用し難いことは、原判決が判示するとおりである。同(九)の主張もまた前記引用部分において原判決が判示するところに照らし採用し難い。

(2)  第一審被告国は、当審における(六)の主張において、本件の損害の額は、売渡の行なわれた昭和二四年当時の本件各土地の自創法による買収対価に相当する額によるべきであると主張するので、この点について考察する。

民法一四四条は、時効の効力はその起算日に遡る旨を規定するから、第一審原告らは、起算日に遡つて所有権を喪失することになるが、これは期間中継続した事実関係をそのまま保護し、時効による権利の得喪から生ずる諸問題を遡及的に一挙に簡明に処理しようとする趣旨にほかならない。したがつて、たとえば、国を除くその余の第一審被告らが時効期間中本件土地を占有していたことは、遡つて適法であつたことに帰するわけで、第一審原告らの所有権を侵害したことになるのではない。時効の遡及効は、右の趣旨を出でないのであつて、本件損害賠償の基準日まで起算日に遡るという見解には、当裁判所は左祖しない。けだし、第一審原告らの土地所有権は、国から売渡を受けた者が、所有権を時効によつて取得すると同時に喪われ、この時点において損害は現実化するからである。したがつて、本件における損害の額は、時効期間満了の時点における右各土地の価額によつて算定すべきこと原判決の判示するとおりである。

(3)  第一審被告国は、(七)において過失相殺を主張するが、第一審原告らに過失があつたとは云い難いこと原判決が五において判示するとおりである。

(六)  したがつて第一審被告国は、右土地相続人らに対し、右金額を支払うべきところ、右土地相続人たる第一審原告ら(承継人を含む)の蒙つた損害は、同人らが吉村トリから相続した右土地所有権の割合に照応すると解されるから、第一審原告ら(承継人を含む)の損害額は、次のように算出される。

(1)  大八木金春、小池イチ、土屋マツ、永井タケは、いずれも三六分の一で各金七〇、一四四円宛(円未満切捨、以下同じ)。

(2)  大野亀男、大野アサ、大野義雄、大野甲十三、小栗アキはいずれも三〇分の一で各八四、一七三円宛。

(3)  三獄勇、小沢君子、三獄清松、三獄繁蔵は各二四分の一で各金一〇五、二一六円宛。

(4)  田中ハナの承継人田中馨、同勝江は各七二分の一で各三五、〇七二円宛。

(5)  中丸正太郎の継承人中丸登志は一八分の一で金一四〇、二八八円。同しく中丸功治、中丸正子、中丸正実は各二七分の一で金九三、五二五円宛。

(七)  第一審原告ら(承継人を含む)は、当審において遅延損害金の請求を減縮し、昭和三九年六月二四日以降支払済にいたるまで年五分の割合による金員の支払を求めるにとどめるにいたつたから、右請求は、その範囲においてこれを認容すべきである。

三、以上のとおりであるから原判決が第一審原告らの主位的請求を棄却し、第一審原告田中ハナ、同中丸正太郎の請求を除き、その余の第一審原告らの予備的請求を認容した部分は相当であつて、右第一審原告らの控訴及び第一審被告の控訴はいずれもその理由がない。よつて、右各控訴はこれを棄却すべきである。

つぎに、第一審原告田中ハナが死亡し、田中馨、同勝江が相続人としてこれを承継した結果、第一審判決の主文中、同人らに関する部分はこれを変更することとなるが、本件各控訴はいずれもその理由がないものとして棄却すべきである。

最後に、第一審原告中丸正太郎が死亡し、中丸登志、中丸功治、同正子、同正実がこれを承継した結果、第一審判決主文中同人らに関する部分もこれを変更すべきこととなるが、同人らの控訴(請求拡張部分を含む、)は、さきに認定した範囲においてその理由があるから、これを認容すべく、その余の控訴及び第一審被告国の控訴は、いずれもその理由がないものとしてこれを棄却すべきである。

四、よつて、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、九五条、八九条、九二条、九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 三淵乾次郎 伊藤顕信 村岡二郎)

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